文学論叢
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2020年~
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号数 タイトル 氏名 第41号(2024) 〈戦後〉への試走― 志賀直哉における「奈良」 上田穂積 志賀直哉における〈月〉― 〈戦後〉を巡る一断面 上田穂積 良寛の手毬つきの詩― 本来の自己の調べ ― 下田祐輔 近代文学における「もっとも(尤・最)」の用字について 青木毅 『百人一詩画譜』をめぐって― 土岐善麿最晩年の和訳 ― 大伏春美 "The Wife of Bath's Prologue"(Geoffrey Chaucer [ 14世紀英詩人]作)での名詞の語源小論2(完結) 井田琇穂 何が怪談を怖くするのか―タクシー怪談を中心に― 篠田裕 第40号(2023) 〈研究必携〉という風景― 「近代文学懇談会」会報を読む ― 中山弘明 志賀直哉の〈戦後〉― 座右寶刊行會と細川書店をめぐって 上田穂積 志賀直哉における戦後刊行本― 『翌年』の意味をめぐって 上田穂積 良寛の「琴」の詩 追考― "没絃琴" の体験について― 下田祐輔 「おぼえがき」再考― 土岐善麿のローマ字書き『HYAKUNIN ISSYU』より ― 大伏春美 "The Wife of Bath's Prologue"(Geoffrey Chaucer [ 14世紀英詩人]作)での名詞の語源小論 1 井田琇穂 令和3 年度 修士論文要旨 第39号(2022) 「大正文学研究会」と「ジッテ(Sitte)」(承前)― 田村栄太郎/学問史 ― 中山弘明 感性の系譜― 吉田健一と志賀直哉,あるいは梶井基次郎 上田穂積 〈世界〉としての単行本/創作集― 志賀直哉『豊年蟲』をめぐって 上田穂積 『女房一人五首』について 大伏春美 Geoffrey Chaucer(14世紀英国詩人)の"The Nun's Priest's Tale" に現れる名詞の語源,再分類 井田琇穂 本を読む「怪物」の物語― 『フランケンシュタイン』における読書の問題 中島正太 令和2年度 修士論文要旨 第38号(2021) 島崎藤村とプロレタリア文学―秋田雨雀/学問史― 中山弘明 〈恋愛小説〉という眼差し―志賀直哉「暗夜行路」再考― 上田穂積 志賀直哉『萬暦赤繪』論―単行本/創作集という視座から― 上田穂積 漱石作品における「挨拶」の意味について―〈返答〉意の用例の存在― 青木毅 ローマ字書き『HYAKUNIN ISSYU』について―土岐善麿の「Oboegaki」を中心に― 大伏春美 Geoffrey Chaucer(14世紀英国詩人)の"The Nun's Priest's Tale"に現れる名詞の語源について 井田琇穂 第37号(2020) 〈書物〉あるいは〈絵画〉を巡るイストワール―「海辺のカフカ」再読― 上田穂積 『万葉集』特別展示について 下田祐輔 BasicEnglish(Ogden考案)における二重目的語の構文小論 井田琇穂 土岐文庫のローマ字資料について―早稲田大学中央図書館蔵土岐文庫の調査による― 大伏春美 終助詞「な」と「ね」の統合的分析 篠田裕 半分の死 ―William FaulknerのSoldiers'Payにおける移動と家族― 山本義浩 平成30年度修士論文要旨
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2010年~2019年
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号数 タイトル 氏名 第36号(2019) 『時代不同歌合』の歌の再編成について 大伏春美 良寛自撰歌集『ふるさと』における旋頭歌 下田祐輔 志賀直哉「豊年蟲」の射程―菊池寛と横溝正史― 上田穂積 Dilseyのテクスト―The Sound and the FuryにおけるGibson家の物語― 山本義浩 第35号(2018) 土岐善麿と図書紹介 ―「生活と芸術」の新刊書紹介欄から考える― 大伏春美 良寛自撰歌集『ふるさと』四季の歌について 下田祐輔 「暗夜行路」の原理 ―志賀直哉と西田幾多郎― 上田穂積 「『暗夜行路』雑談」をめぐって ―中野重治と志賀直哉― 上田穂積 目覚めよRosa,と彼女は語った―William FaulknerのAbsalom, Absalom!における家父長制の狂気― 山本義浩 徳島文理大学附属図書館蔵田島衣子文庫について 佐々木亨 平成28年度修士論文要旨 第34号(2017) 『今昔物語集』における「グス(具)」「アヒグス(相具)」の意味・用法と文体的性格 青木毅 良寛の「琴」の詩と古典 下田祐輔 創作集『雨蛙』における首-尾の問題 ―志賀直哉「暗夜行路」を巡る宇宙(コスモス) 上田穂積 志賀直哉「灰色の月」を読む ―反・露伴、あるいは露伴嫌いの視座から― 上田穂積 ジョージ・エリオット『ミドルマーチ』における女性と「殺人」 中島正太 アメリカン・ドリームの光と闇⑶ ―『マーティン・ドレスラーの夢』における都市の創造― 山本義浩 早稲田大学中央図書館蔵土岐文庫について ―洋書を中心として― 大伏春美 平成27年度修士論文要旨 第33号(2016) 追悼岡地ナホヒロ先生 近影・略歴・研究業績・岡地ナホヒロ先生の学問 良寛詩における孤独 ―自撰『草堂集』稿本を中心として― 下田祐輔 志賀直哉を巡る断章 ―吉田健一と高橋英夫― 上田穂積 〈にほい〉の権能 ―中上健次「岬」を読む― 上田穂積 『新続歌仙』について―『自讃歌』との共通歌について― 大伏春美 アメリカン・ドリームの光と闇⑴ ―『グレート・ギャツビー』の夜を巡る欲望― 山本義浩 平成26年度修士論文要旨 第32号(2015) 前理事長村崎凡人短歌集成(続) 大伏春美 黒川博行の小説『蒼煌』と日展批判 高畑常信 『寒山詩』と良寛―天真仏・衣内宝を中心に― 下田祐輔 原景としての〈円―球〉―村上春樹と三浦梅園― 上田穗積 終助詞「な」の示す心的操作と時間性 篠田裕 W.B.イェイツ後期詩篇における象徴主義 Adrian Farrugia 平成24年度修士論文要旨 平成25年度修士論文要旨 第31号(2014) 前理事長村崎凡人の短歌集成 大伏春美・下田祐輔 仮名文伝奇『竹取物語』の誕生 奥津春雄 高松藩における寛政・文化期の砂糖生産と流通 木原溥幸 歌物語の系譜と受容 宋炳五 良寛詩における「縁に随ふ」について 下田祐輔 〈気分〉をめぐる装置― 岩野泡鳴「耽溺」を読む― 上田穂積 丸山静の藤村論―国民文学論と作品論の狭間に― 中山弘明 現代の北朝鮮・韓国を紹介した本 高畑常信 古事記における「赤」の用字法~霊威の表現としての特徴~ 鎭西三恵 「前奏曲」の詩人と作家―野上彰詩集『前奏曲』に堀辰雄との縁を読む 大石征也 童謡(ワザウタ)の本分― 金子みすゞに於ける"食べる/織る/書く"こと 渡邉章夫 北原白秋『桐の花』論―― 色彩語のバリエーションを中心として―― 坂嵜圭太 平成24年度博士論文要旨 第30号(2013) 正妻としての葵―左大臣家と繋ぐモノとして― 上田満寿美 良寛詩における「騰騰任天真」について 下田祐輔 良寛旅日記断簡「はこの松は」について―播磨国加古郡寺家町・薬王山常住寺と「加古の松」― 下田祐輔・藤本典子 〈井戸〉をめぐる記憶 ―柳田國男と村上春樹― 上田穂積 〈研究ノート〉一首本『三十六人歌合』の諸本についての覚え書き 大伏春美 第29号(2012) 末摘花と〈宮家〉―蓬生巻における〈受領〉のかかわり― 上田満寿美 『滑稽冨士詣』における挿絵の役割―初編から三編まで― 王学鵬 良寛と四国―真言密教との関わりを中心に― 下田祐輔 明治三十九年の志賀直哉と「暗夜行路」―書簡に示された言述から― 上田穂積 文化体系と言語イメージの相関あるいは相対的認識体系へ 伊藤徳文 平成22年度修士論文要旨 第28号(2011) 末摘花巻についての一考察―末摘花が〈左大臣家〉から得たもの― 上田満寿美 『現存三十六人詩歌』と当代の散佚詩歌合 大伏春美 浮世草子における挿絵について―『世間娘気質』を中心に― 王学鵬 良寛詩における「衣内宝」について―その緒説― 下田祐輔 志賀直哉における「書字言語」 ―「城の崎にて」から「和解」へ― 上田穂積 「幼児殺し」にみる19世紀のイギリス医療問題―ジョージ・エリオットの『アダム・ビード』を中心に 中島正太 平成21年度修士論文要旨 第27号(2010) 〈母〉に会えぬ物語―「暗夜行路」への一視座― 上田穂積 周恩来の処世と人生 高畑常信 高松藩における農兵と高島流歩兵 木原溥幸 図書館人としての杉捷夫書誌 大伏春美・大伏節子 平成20年度修士論文要旨
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2000年~2009年
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号数 タイトル 氏名 第26号(2009) 〈出仕〉する姫君たち―その意味と機能― 上田満寿美 良寛の「琴」の詩の一解釈 下田祐輔 明治初頭における戯作の表記を巡って 長畑太子 『或る男、其姉の死』論 上田穗積・仙田倫太郎 志賀直哉「暗夜行路」―「後篇」というテクストの地平 上田穗積 サドのリベルタン小説の書き方―哲学者リベルタン・ブレサックの場合― 林 學 悔悟するトライアン―ジョージ・エリオット「ジャネットの悔悟」に見る「相互の癒し」― 中島正太 平成19年度博士・修士論文要旨 第25号(2008) 正妻としての四の君の役割―右大臣家の娘としての立場から― 上田満寿美 良寛の手毬つきの長歌について―テキストの成立過程と表現志向― 下田祐輔 土地の名、浮遊する謙作―「暗夜行路」における空間― 上田穂積 「荒地」のメディア論―戦争・コラム・ミステリー― 中山弘明 久米栄左衛門の高松藩経済論 木原溥幸 ロマの起源に関するいくつかの仮説 井上勉 平成18年度博士・修士論文要旨 第24号(2007) 『鴫の羽搔』拾遺―『文明千首』所収歌を中心に― 大伏春美 『五輪書』の空観 坂田徳秀 良寛筆「君看双眼色 不語似無憂」句について 下田祐輔 〈引用〉としての「暗夜行路草稿」の諸問題―「和解」を巡って 上田穂積 長谷川天渓のラジオ ―戦間期の「放送用語」と心理学― 中山弘明 大福光寺本『方丈記』の本文をめぐって―平仮名本文先行の可能性― 青木毅 鄧石如「八分書、司馬温公居家雑儀残冊」について 鴨田恒子 『新ジュスティーヌ』のブレサック―サドのリベルタン哲学者のひとつの完成像― 林 學 平成17年度修士論文要旨 第23号(2006) 秋声と虚子 ―「新世帯」異見 上田穂積 助動詞「り」「たり」と主観の表現 近藤政行 サドのリベルタン小説の生成過程の一側面―リベルタン哲学者ブレサックの造型をめぐって― 林 學 総記の解釈と限定のとりたて「だけ」・「しか」 伊藤徳文 終助詞「か」「よ」「ね」「よね」の機能―談話管理理論の立場から― 篠田裕 平成16年度修士論文要旨 第22号(2005) 引用と注釈 ―「和解」に関する一考察 上田穂積 プレイバック・バーナード・ショー ―戦間期日本のモダニズム― 中山弘明 問いに用いられた「き」「けり」について―源氏物語と今昔物語集とを資料として― 近藤政行 『万葉集』に河川の景を読む 日下雅義 高松藩の土免と免所について 青野春水 指定文・分裂文の意味論・語用論的研究 伊藤徳文 平成15年度修士論文要旨 林 學 第21号(2004) 〈母〉への憧憬─志賀直哉の第二創作集『大津順吉』を読む─ 上田穂積 近世越後における割地制(七)─その実施をめぐる紛争─ 青野春水 知的比喩からの脱却 ─ダンの『うたと小曲』より 岸本吉孝 『閨房の哲学』またはリベルティナージュの教育─サドの「教育」論の一側面─ 林 學 タブーを語るユーモラス ディスコースとしてのジョーク ─ダイアナジョークと世界貿易センタージョークの事例より 安部剛 平成14年度修士論文要旨 第20号(2003) 物部氏と出雲─古代豪族物部氏の動向─ 長野一雄 〈祖父〉の復権─志賀直哉の第三創作集『夜の光』を読む─ 上田穂積 専修寺本『水鏡』の本文について(三) ─漢字表記語から見た巻別差異─ 青木毅 近世越後における割地制(五) ─軒前・軒組を中心に─ 青野春水 日英語におけるL転位文・R転位文の情報構造と言語機能 伊藤徳文 「テレーズ」から「ジュリエット」へ─ リベルタン小説としての『ジュリエット物語』 林 學 文化とコミュニケーションの三角測量─アメリカ人,イギリス人と日本人のコミュニケーションスタイルと文化の比較より ジェフリーハント
安部剛平成13年度修士論文要旨 第19号(2002) 出雲系氏族の動向 長野一雄 藍泉と大阪 ─作家への道─ 佐々木亨 テクストとしての『留女』 ─志賀直哉の第一創作集を読む─ 上田穂積 専修寺本『水鏡』の本文について(二) ─仮名字体から見た巻別差異─ 青木毅 割地制と農地改革─新潟県越路町の場合─ 青野春水 4コマ漫画の構造─ジョークとの比較において─ 篠田裕 リベルタン小説 ─啓蒙の世紀の批判精神の一側面─ 林 學 笑い講─人類学的考察─ 安部剛 平成12年度博士・修士論文要旨 第18号(2001) 『雲葉和歌集』の伝本について ─冷泉家本と早稲田大学本─ 大伏春美 『吉備能日本智恵』について─天明中期における春町作品の再評価─ 佐々木亨・香西由利惠 良寛の有願追慕の詩と歌─良寛の詩歌詠作の一過程─ 下田祐輔 小説家・時任謙作の起源─「暗夜行路」草稿を読む 上田穂積 専修寺本『水鏡』の本文について(一) ─「お」「を」の書き分けをめぐって─ 青木毅 近世越後における割地制㈢ ─「大竿検地」との関係を中心に─ 青野春水 ジョージ・エリオットの『引き上げられたヴェール』における「病」としての「語り」 中島正太 サド ドルバックの信奉者 ─無神論哲学の受容の一側面─ 林 學 ディザースター ジョークの比較分析 ─スペースシャトルチャレンジャー ジョークとダイアナ ジョークの事例より 安部剛 平成11年度修士論文要旨 平成12年度博士論文要旨 第17号(2000) 一首歌仙本の『女歌仙』・『三十六歌仙』 ─往来物にみえる伝本について─ 大伏春美 小説家としての時任謙作─「暗夜行路」への一視点─ 上田穂積 平安・鎌倉時代における〈季節の到来〉を表す類義動詞句の文体的性格について 青木毅 近世越後における割地制㈠ ─所持・進退を中心に─ 青野春水 サドにおける無神論哲学の形成とその展開 ─『イタリア紀行』から『司祭と臨終の男との対話』へ─ 林 學 オーストラリアのエスニック ジョーク─先住民アボリジニと白人オーストラリア人の人種関係について─ 安部剛 スポーツマンガにおける若者のアイデンティティー ─少年マンガを中心に─ 白松賢 ジオアーケオロジー 日下雅義 平成10年度博士・修士論文要旨
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1990年~1999年
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号数 タイトル 氏名 第16号(1999) 『新三十六人歌合』一首本について─B本(丙本・BⅡのⅱ本)を中心に─ 大伏春美 良寛と巌田洲尾 ─良寛自撰『草堂集』編集の周辺─ 下田祐輔 志賀直哉「濁つた頭」の語りと構造 ─「清浄な人」という〝自分〟の神話 上田穂積 塩飽島の人名について ─その語源を中心に─ 青野春水 『万葉集』に自然の景を読む 日下雅義 戯曲『エゴイスト』を読む⑴ 植苗勝弘 戸惑うフォークナー ─『サンクチュアリ』より 岡地ナホヒロ 『英語非規範文の言語機能』 伊藤徳文 ジョークの条件 ─ユーモアの不一致理論によるジョークの分析─ 篠田裕 カフカ受容史・研究史と新たな研究方向 井上勉 『イタリア紀行』のサド ─作家サドの徒弟修業時代をめぐって─ 林 學 エスニックユーモア─アイリッシュジョークとケリーマンジョークの比較分析 安部剛 物語における教育的空間 ─スポーツマンガの教育社会学的研究序説─ 白松賢 平成9年度修士論文要旨 第15号(1998) 日本霊異記の習合思想 長野一雄 『貫華』題号考 下田祐輔 初期・黒島伝治の奇軌 ─農民文学における〈父〉─ 上田穂積 平安・鎌倉時代における〈剃髪〉を表す類義動詞句の変遷について 青木毅 広島藩の所務役人について 青野春水 小説の劇化 ─『テス』の台本─ 植苗勝弘 歪んだ南部社会 ─フォークナーの『八月の光』より 岡地ナホヒロ オソレとユーモア ─ユーモアの不一致理論序説─ 篠田裕 悪の創造主としての神 ─サドの異端精神の一側面─ 林 學 ネパールの政治・社会的風刺漫画 安部剛 平成8年度修士論文要旨 第14号(1997) 日本書紀と日本霊異記 ─雄略紀七年七月条と霊異記上一の比較─ 長野一雄 『万葉集』の遣唐使の和歌 ─山上憶良の場合─ 佐藤高明 『小楷詩巻』・興善寺本『草堂集』の位置─良寛自撰詩集稿本『貫華』との関わりにおいて─ 下田祐輔 記述としての〈始まり〉─「足迹」の文法─ 上田穂積 平安・鎌倉時代における類義動詞句「夜ヲ昼ニ成ス」と「夜ヲ日ニ継グ」との交替について 青木毅 徳島藩初期の軍役・普請役について 青野春水 自然描写と情緒のつながり─ワーズワスとエミリ・ブロンテの詩から─ 岸本吉孝 『エゴイスト』の翻訳管見 植苗勝弘 ナポリのジュリエット─サドの造形した女性革命家の肖像─ 林 學 南洋群島時代と国連信託統治時代における日本人のミクロネシア人観 安部剛 平成7年度修士論文要旨 第13号(1996) 蓬萊の玉の枝考 奥津春雄 平安・鎌倉時代における類義動詞句「願ヲ発ス」と「願ヲ立ツ」との対立について 青木毅 高松藩の免所について 青野春水 シェイクスピアの『ソネット集』にみる男と女 岸本吉孝 ルーカス・ビーチャムの曖昧性─フォークナーの『ゆけ,モーセ』より─ 岡地ナホヒロ オムニコミュニケーション 井上勉 サドの女性権利宣言 林 學 American Anthropology, Native American Indians and the Four−Field Approach 安部剛 Haiku in English TRUDE HEIMAN Discourse Analysis : Applications in Teaching/Learning BRUCE CORNWALL 平成6年度修士論文要旨 第12号(1995) 因果の言説 ─日本霊異記─ 長野一雄 明治の合巻 ─所謂明治式合巻と東京式合巻なる名称をめぐって─ 佐々木亨 〈群棲〉へのまなざし ─中村星湖「蛆虫のやうに」を読む─ 上田穂積 平安・鎌倉時代における類義動詞句「罪ヲ造(作)ル」「罪ヲ犯ス」の用法について 青木毅 津山藩の地ならし・段付・段免について ─森氏の場合を中心に─ 青野春水 "Rethinking Bronislaw Malinowski and Alfred R. Radcliffe−Brown's
Anthropological Orientations"安部剛 記号コミュニケーション ─インターフェイス・コミュニケーション 井上勉 サドとロベスピエール ─政治から文学へ─ 林 學 平成5年度修士論文要旨 第11号(1994) 天皇記の系譜と記事 長野一雄 五人の求婚者の機能 奥津春雄 自発と受身 近藤政行 鳥取藩の請免制について 青野春水 エンジェルの改心 植苗勝弘 広告テクストを使った外国語授業 井上勉 解体される家族 ─サドの「家族小説」─ 林 學 第10号(1993) 巡礼と倭建命の御葬歌 長野一雄 燕の子安貝の段の構想 奥津春雄 「『門』を評す」を読む ─〈うそ〉を巡る覚書 上田穂積 『楚辞釈文』をめぐる問題点 竹治貞夫 アメリカ文学の中のサトペン像 ─フォークナーの『アブサロム,アブサロム!』について 岡地ナホヒロ "The American Administration of Micronesia :
a study of strategic trusteeship,1944─1983"安部剛 A THEATRICAL APPROACH TO TEACHING ENGLISH Jane Leavitt サドのヒロインたちの任務 ─犠牲者から革命の戦士へ─ 林 學 "コミュニケーション:伝達か,それとも解釈か?
─意味作用の記号論と認知生物学のコミュニケーション理論─"井上勉 第9号(1992) 神話の規範と秋山之下氷壮夫の物語 長野一雄 阿部御主人の人間像─火鼠の裘の成立─ 奥津春雄 『二条太皇太后宮大弐集』注釈㈥ 大伏春美
森本元子漱石「倫敦塔」における"漾虚" 岡林清水 「刺青」序説 ─書き手の変貌/その〈堕落〉の意味─ 上田穂積 新居水竹著『風雩後塵』訳注 竹治貞夫 古文献に現れた祭祀構造の輪郭 堀哲 黒人演劇の発展とラングストン・ヒューズの劇(上) 赤松光雄 Interaction between Types of Lexical Information 北林利治 サドの小説世界─美徳と悪徳との格闘のドラマ─ 林 學 〈能動的想像〉による未知とのコミュニケーション ─ユング心理学とFr. カフカ─ 井上勉 第8号(1991) 白鳳期の文芸潮流─敗者側反乱伝承の類似性─ 長野一雄 『二条太皇太后宮大弐集』注釈㈤ 大伏春美
森本元子鷗外作「長宗我部信親」研究 岡林清水 『重右衛門の最後』試論 ─〈語り手〉のドラマ─ 上田穂積 新居水竹著『婦久知宇日記』要注 竹治貞夫 スコットランドの歴史的・文化的背景における言語と民族的気質の考察⑷ 八村伸一 ジュスティーヌの徒弟奉公─『ジュスティーヌまたは美徳の不幸』における革命─ 林 學 第7号(1990) 歌謡物語と歌舞劇 長野一雄 「斑竹姑娘」と『竹取物語』求婚譚 奥津春雄 『二条太皇太后宮大弐集』注釈㈣ 大伏春美
森本元子閨秀歌人大屋久子 兼清正徳 大塚楠緒子「空薫」研究 岡林清水 『二十四五』への視角─明治四十二年の秋声・〈故郷〉からの測鉛─ 上田穂積 『武功雑記』における自称・対称の代名詞について 諸星美智直 新居水竹著『塞馬録』訳注㈢ 竹治貞夫 John Donne のEpicedes and Obsequies におけるイメージ群 阪本芳幸 仮面を被った黒人たち─フォークナーの作品における黒人像─ 岡地ナホヒロ SF・奴隷体験記─オクタヴィア・バトラーのメッセージ─ 風呂本惇子 スコットランドの歴史的・文化的背景における言語と民族的気質の考察⑶ 八村伸一 M. L. カシュニツの物語における非合理的なものと日常的現実に対するその意義について 井上勉 サン=ジュスト 若き革命家の肖像─正義と幸福の共和国を求めて─ 林 學
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1980年~1989年
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号数 タイトル 氏名 第6号(1989) 陵墓を壊さない話 ─記のジレンマと閉塞状況 長野一雄 金玉鳳凰と屍鬼二十五話 奥津春雄 『二条太皇太后宮大弐集』注釈㈢ 大伏春美
森本元子桂園派歌人須川信行 兼清正徳 藤村「春」の二元的構図 岡林清水 上古・中古における形容詞「あかし」の語義─色彩をあらわす以外の用例─ 村内英一 新居水竹著『塞馬録』訳注㈡ 竹治貞夫 カーライルの『過去と現在』と現在 谷崎隆昭 スコットランドの歴史的・文化的背景における言語と民族的気質の考察⑵ 八村伸一 Defore, Boswell and Johnson and Eighteenth−century Travel Literature ウェンディ ジョーンズ "Come, Ye Faithful, Raise the Strain" : Victorian Experiences of Hymns Leon B. Litvack 『ポールとヴィルジニー』または廃墟の田園詩 林 學 Eine Interpretation der Shiffsgeschichte : Kaschnitz Dante Jung 井上勉 第5号(1988) 近代文学と近代精神 ─文学の革新─ 村崎凡人 馬場孤蝶日記─孤蝶とキリスト教─ 岡林清水 桂園派歌人尾崎宍夫 兼清正徳 『二条太皇太后宮大弐集』注釈㈡ 大伏春美
森本元子雄略記の葛城山 長野一雄 新居水竹著『塞馬録』訳注㈠ 竹治貞夫 李栄『道徳経』注〈参〉 藤原高男 The Economics of Marriage in Jane Austen's Novels Wendy L. Jones Natsume Sôseki and Nathaniel Hawthorne : A Comparative Study(1) 本間賢史郎 The Defenders of Truth : Thomas Carlyle and John Henry Newman Leon B. Litvack カーライルの『チャーティズム』について 谷崎隆昭 スコットランドの歴史的・文化的背景における言語と民族的気質の考察⑴ 八村伸一 小説家マルキ・ド・サド─『小説論』を読む─ 林 學 第4号(1987) 引田部の赤猪子 長野一雄 『二条太皇太后宮大弐集』注釈㈠ 大伏春美
森本元子慈円「賀茂百首」考─法楽意図と表現について─ 石川一 桂園派歌人渡忠秋 兼清正徳 藤村「櫻の實の熟する時」研究 ─その二元的性格について─ 岡林清水 横光利一の心性 ─「悲しみの代価」その他─ 高柴愼治 柴野碧海の『家世紀聞』について ─『柴栗山先生遺事』との比較─ 竹治貞夫 李栄『道徳経』注〈弐〉 藤原高男 ハーディの短篇小説 植苗勝弘 Natsume Sôseki and Nathaniel Hawthorne : A Comparative Study⑵ 本間賢史郎 人種問題における南部の現実と思想:フォークナーの『ゆけ,モーゼ』と『墓地への侵入者』より 岡地尚弘 'lie' に関する英語表現の考察 八村伸一 荒れ騒ぐカフカの内界─H.ミショーとの比較・隠秘学からの説明─ 井上勉 フランス革命時代のマルキ・ド・サド(1790─1794)─政治パンフレット・書簡を読む─ 林 學 第3号(1986) 雄略天皇の若日下部王求婚 長野一雄 慈円「難波百首」考 ─太子信仰を焦点として─ 石川一 桂園派歌人大道寺忠 兼清正徳 藤村『若菜集』の研究 ─「おくめ」の詩をめぐって─ 岡林清水 資料 伊藤整全集逸文について二三のこと 高柴愼治 尾張方言の原因・理由を表わす助詞 寺川みち子 李栄『道徳経』注〈壱〉 藤原高男 Under the Greenwood Tree 試論 植苗勝弘 こだまの道標 ─'Heart of Darkness' 試論─ 源馬英人 南北戦争とサートリス家:フォークナーの『征服されざる人々』 岡地尚弘 カリブの視線 ─トニ・モリソンとポール・マーシャルの最近の小説について─ 風呂本惇子 比較構文諸相の考察 八村伸一 カフカにおける書くこと ─ひとつの秘教─ 井上勉 第2号(1985) 地名説話表現の由来 長野一雄 室町末期の竹取説話 ─付,形見の鏡の成立─ 奥津春雄 『千五百番歌合』藤原良経の判詩 ─「詞」を中心として─ 大伏春美 慈円「建暦三年日𠮷百首」考 石川一 『椀久一世の物語』における狂気 長尾三知生 桂園派歌人渡辺勉および俊明 兼清正徳 伊藤整における"近代の超克" ─「エゴ」の内実とゆくえ─ 高柴愼治 Desperate Remedies 考 植苗勝弘 紫のペチュニアは枯れない─アリス・ウォーカーの第二詩集及び『メリディアン』に関するノート─ 風呂本惇子 ウィリアム・フォークナーの『尼僧への鎮魂歌』における散文の部分と劇の部分との関係について 岡地尚弘 ジョウゼフ・コンラッドのもう一つのアフリカ─'An Outpost of Progress' 試論─ 源馬英人 再びダンの音楽のイメージについて 阪本芳幸 文修飾副詞の範囲と周辺の考察 八村伸一 今日の国際英語計画:Quirk, Lester, Wong のモデルをめぐって 阿部晃直 創刊号(1984) 文学部建設 村崎凡人 創刊の辞 谷崎隆昭 弘計・億計二皇子の伝承 長野一雄 三つの難題と鶯姫と ─竹取説話考序説─ 奥津春雄 『二条太皇太后宮大弐集』をめぐって ─院政期女流歌人─ 大伏春美 慈円と法華廿八品歌 ─法華要文百首について─ 石川一 桂園派歌人吉田利和 兼清正徳 文学と非常時 ─伊藤整に見る戦時の屈折─ 高柴愼治 尾張方言の当為表現 ─ンナランとナカン─ 寺川みち子 A Pair of Blue EyesのPlot 植苗勝弘 闇と曙光の争いの中で ─『ノストローモ』における夢の分析─ 源馬英人 組織の中の個人:フォークナーの『寓話』 岡地尚弘 『老人と海』の文体と語法の分析 八村伸一 モンテスキューと啓蒙のユートピア ─『ローマ人盛衰原因論』における「共和政」について─ 林 學 サルトルにおける老いとマチスム 田島衣子