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正月のあとはえべっさん

公開日 2024年01月19日

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正月も終わってしまい、あわただしく授業がスタートしますが、この時期、

十日戎(とおかえびす)などのえびす祭りがあります。

このえべっさん(恵比寿さま)ですが、『古事記』や『日本書紀』などの日本神話に

「えびす」という語句が登場しないため、どの神様なのか、素人にははっきりわからないところがあります。

 

例えば、スサノヲ(素嗚)やオオクニヌシ(大国主)などは、ズバリその名前が記述されているわけですが、

それに対し、恵比寿さまは日本神話や民間信仰の中にあるものが、徐々に少しずつ組み合わさって、

最終的に恵比寿さまとして出来上がった、言わば「合体ヒーロー・ロボット」のような存在なのです。

 

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ここでは、5つのマシンが合体したという設定で説明をしていきます。

1号機:夷、戎(どちらも「えびす」の読み方)

2号機:蛭子命(ヒルコノミコト)

3号機:事代主命(コトシロヌシノミコト)

4号機:彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)、別名・山幸彦(ヤマサチヒコ)

5号機:阿曇磯良(あずみのいそら)

 

まず、漁師の間での民間信仰で、遭難者の遺体や漂着物を「えびす」と呼んで決して粗末に扱わない、

という習慣があり、これらを祭ったものが夷または戎です。

東京の浅草観音も、海から引き揚げたものだったことからもわかると思います。

しかし、元来、夷や戎の文字は、蝦夷(えぞ)でもわかる通り、辺境に住む敵対勢力という意味であり、

ひょっとすると恵比寿さまは現代のようなにこやかな福の神ではなく、コワイ神様だったのかもしれません。

 

次に、日本国土の形成者である父神・イザナギノミコト(伊邪那岐命)と母神・イザナミノミコト(伊邪那美命)の間に

子供が誕生した際、骨のない障害児だったため、海に流したという神話が存在します。

これが、ヒルのようにフニャフニャな体の蛭子命で、人権倫理が現代とは違う古代のこととは言え、

何とも残酷な話です。しかし、さきの、夷や戎と名付けた、遭難者の遺体や漂着物を民間の方々は

蛭子命と考え、手厚く祭ったのでしょう。この蛭子命を祭神とする、えびす神社の総本社が西宮神社です。

 

さらに、日本神話には、蛭子命の何世代も後に事代主命が登場します。

漁に出た後、神様としての仕事を終えて、海の彼方に消えてゆく記述があるため、

海や漁業と結びついて恵比寿さまとなったのでしょう。

この事代主命を祭神とする、えびす神社の代表格は大阪今宮戎神社です。

また、事代主命は出雲地方の大国主命とセットで記述されているため、

同地方(島根県松江市)でこれを祭る美保神社はえびす神社の総本宮となっています。

 

次に、4番目の彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)ですが、彼もまた、

日本神話において、蛭子命の何世代も後に、初代天皇である神武天皇の祖父(おじいさん)として

登場します。別名・山幸彦(ヤマサチヒコ)の名前で浦島太郎の物語の原型になっている人物ですが、

この話には釣り竿や海の魚の詳細な記述が出てくることを、絵本などで覚えている方も多いのではないでしょうか?

七福神にあるような、恵比寿さまが釣り竿と鯛を持っている姿はここに由来するという説もあります。

長崎県対馬市の和多都美神社(わたづみじんじゃ)が彦火火出見尊を祭っています。

わたづみ、とは海の神という意味です。

 

最後ですが、前出の長崎県対馬市・和多都美神社には磯良恵比須(いそらえびす)と呼ばれる

石のモニュメントがあり、これは阿曇磯良(あずみのいそら)と呼ばれる海の精霊の墓であるとされています。

阿曇磯良は海人(あま)の統率者でもあり、それらの先祖でもあると考えられており、

福岡市東区にある志賀海神社(しかうみじんじゃ)が氏神として祭っています。

亀に乗って海を渡ってくるという、まさに超人的なテクニックを持つという言い伝えから、

亀石というモニュメントが存在します。

 

このように、恵比寿さまは、さまざまな要素を含むようになり、現代に定着した神様なのです。